Gokigen Weekly Report

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ごきげんウィークリーレポート


●バックナンバー(2002年7月)


7月29日(月)―8月4日(日)「理系人間とビジネスを考える夏の日」

講談社ブルーバックスの“理系のための研究生活ガイド”が11刷りを迎えた。今ま で自分で書いた本は30冊以上になるけど、11回も増刷したのはこれが初めて。と ても嬉しい。学生時代はスキーとヨットばかりやっていたのに、今はこうやって、学 生や研究者にアドバイスの本を書いているので不思議。人それぞれがユニークだから 僕の話が全面的に役にたつとは思えないけど、ひとつの視点は提供できると自負して いる。いま特にお勉強はしていないけどポテンシャルのある君にとってはいい本に違 いない。君のことだよ。理系君。今は実力ないけど、将来はでっかいことをやってや ろうと思っている理系の君。君にとっては参考になると思うよ。 この本を書いてから7年。さらに最近は自分のいろいろな経験から理系もビジネス に強くならないといけないと感じるようになった。技術は僕がわかるけど、経済はあ なたにおまかせ。なんてことは現実にはありえないのだ。大きな発見をしたり、新し い医療グループを構築したり、パテントを取得して薬剤を開発したりとこれからみん なにはいろいろなことが起こるだろう。その時にビジネスセンスがなければうまくい かない。ところが理系の人はビジネスに弱い。うーん、納得である。医者はビジネス がわからん。これも納得。研究者はビジネスを理解できない。これも半分納得。じゃ これでいいかというとそうとも思えない。大きく世界を見たら日本は資源を持たない 技術立国だ。理系のリソースがビジネスの中心となるべきなのは間違いない。従来の ように、土地やお金や労働力が資本の時代はすでに過去のものだ。現代の資本は知力 である。だとしたら技術立国としての知力をもっとも持っている理系人間にビジネス を展開させる必要があるのではないか。そうなった方が日本の国全体としては元気に 力が出るのではないか。 自分個人で考えてみても自分はビジネスがよくわかっているとは思えない。お金を使 うことは好きだが、お金の計算はめんどくさい。バランスシートなどを読む時間があっ たら他のことをしていたいとつい思ってしまうのだ。でも研究や医学の中で自分のア イデアにほれぼれしてしまうことは多いし、これをビジネスにしたらいいんじゃない かと思うことは多い。さらにつっこんで考えれば自分の考えたことを具現化すること によって社会のお役にたちながら、自分のビジネス(経済)もまわるようなシステム を構築できたらこんなに嬉しいことはないと思う。 自分は研究が好きだ。勉強も好きだ。努力は気にならない。でも理系人間としてどう したら自分の経済を個人レベルで改善し、なおかつ大きなビジネスに発展させること ができるのかまだわからない。そんなことを思う2002年の夏なのでした。



7月22日(月)〜7月28日(日)「屋形船」


v 27日(土)に初めて屋形船で隅田川花火を見た。と書くと、なんと優雅な、と思わ れるかもしれないが実際はまるで違うのです。この日は覚えていらっしゃると思うけ どとにかく暑い。湿度が高い。この炎天下の3時半に船は出るのです。花火が始るの は7時なのに、なんでそんなに早いわけ?当然僕も質問しました。子供たちも質問し ました。
この日は川が混むので早めに行って場所をとらないといけないとのこと。待 つこと延々、3時間半。子供たちといっしょだからお酒を飲んでどんちゃん騒ぎとい うわけにもいかずこれはこれは大変でした。暇をもてあますという貴重な体験をして しまった。さらには屋形船だから天井は低く、窓から顔を出さないと花火は見えな い。だからテレビ中継なんかで“屋形舟は最高です。こんなに近くから花火が見え て。”なんて言っていても実際は顔を出している時だけ。音だけは本当に近くに聞こ えていいけどね。よく隣をみると、船によっては天井に出ることができる新型船が あって、これはよさそう。来年行くならこれがいい。でも家でテレビで見る方がいい かも。



7月15日(月)〜7月21日(日)「児玉龍彦教授の講演」

月曜日に久しぶりに東京大学の児玉龍彦教授の講演を聞いた。シミックがジャスダッ クに上場したのを記念して講演会が赤坂プリンスホテルで行われ、児玉先生が主賓 だったのだ。児玉先生とは1985年に僕がハーバード大学に留学中に知りあった。 最初からすごい先生だったけど、最近はもっとすごい。今回の講演は、2001年に ヒトゲノムがすべてわかって、生体における反応は複雑ではあるが、有限の中での話 になったこと。
これがサイエンスにパラダイムシフトを起こしていること。ITにして も、バイオにしても生産性を向上させるようなものが出てこないと経済に結びつかな いこと。そして日本は21世紀に向かって、バイオテクノロジー立国をすべきである ことなどが話の中心だった。また彼のやっている創薬の基本概念についても話があっ て、すごいアプローチをしているなと思った。かれは僕より2つ年上だから今年50 歳。東大の教授だったのを自分でやめて、システム生物医学ラボラトリーディレク ターとして仕事を始めた。一種のバイオベンチャーのおおがかりなものだ。そして東 大と交渉して、特任教授という肩書きを得て、国家公務員としてのわくを越えて大き く挑戦している。目は最高に輝いていて、本当にすごい。児玉先生クラスの人がいっ ぱいでてくれば日本も欧米のバイオテクノロジーと勝負になると思う。



7月8日(月)〜7月14日(日)「市川市教育改革懇話会」

10日の水曜日に市川市教育改革懇話会に出席した。市川市の西垣教育委員長がこれ からの教育システムを良くするために懇話会を設立したのだった。大学の教員として は僕だけだったが、前文部事務次官の方や市川にある私学の理事長さんなど多彩な顔 触れだった。そこで学んだことがひとつ。各地区にある教育委員会は絶大な権限を 持っていて、各地区でユニークな教育をしてもいいそうだ。
教育委員会はなんも文部科学省の画一的な教育をそのまま実行する必要はないそうだ。これは僕が理解していなかったことだった。ということは教育委員会の責任は重い。また同時に各地区では自分らしい教育を行えるチャンスをもとから持っていることになる。今度は9月にまた開かれるようだからぜひまた参加して、市川市が日本で一番の教育地区となるように微力ながら協力したいと思う。



7月1日(月)〜7月7日(日)「コンタクトレンズ学会(松山)」

七夕の7日の日曜日は愛媛県の松山でンタクトレンズ学会が開かれた。LASIKかコン タクトレンズか、オルソケラトロジーか、phakic IOLかというシンポジウムで僕の担 当はphakic IOL。LASIKができない患者さんにphakic IOLが安全に使えるようになっ たこと、日本でも治験が始ったことなどを発表した。この分野の進歩は早い。近視、 乱視、遠視を治す技術がどんどんと導入されつつある。